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石山近辺を歩いてみよう・岡山城(2) 2005/07/13 (水)
石山城の大改修を命じられたのは重臣の戸川・馬場両名であった。大改修に着手した両名は当時石山にあった岡山神社、今村宮、岡山寺、蓮昌寺などの社寺を城外に移転させ、石山城を大幅に拡張した。直家が築いた石山城がどんな城であったかは、城の遺構が岡山城の下に埋没しているためその全容は明らかではないが、後の岡山城の二の丸内郭・池田家祖廟(現在の榊原病院、NHK)が本丸、西の丸が二の丸、戦災で焼失した石山門付近を大手とする連郭式の縄張りであったと推定されている。東の岡山(現在の岡山城があるところ)と天神山には出丸があったと言われている。旭川は直家の子・秀家が城から離れていた旭川の流路を現在地に付け替えたと言われる。現在はNHKが建っているため石垣を見ることはできないが、旧内山下小学校の東側および西側(家が近接して建てられているので覗いて見ないと見えない)の石垣は往時を偲ばせるものである。自分の足で歩いて見ていただき、小規模ながら城下町が形成されつつあった当時の面影を偲んでいただければ幸いです。
雨の日に 田畑けんじ

岡山城(1) 2005/07/11 (月)
旧内山下小学校の校庭には西の丸・西手櫓(前述)がある。この西手櫓は慶長8年(1603)年に建設されたといわれており、同城月見櫓とともに国指定の重要文化財です。そこで、今日からしばらく岡山城、後楽園、宇喜多、小早川、池田氏などにかかわる「岡山ええとこ自慢」を紹介したいと思う。
石山(岡山)には南北朝の正平年間(1346〜70)に南朝の功臣・名和氏の一族上神太郎兵衛尉高直が城塞を構えたと「備前軍記」にあるという。その後、150年ほどは記録がないので、城主がだれだったかは明らかでない。大永年間(1521〜28)になって金川城主松田氏に仕えていた金光備前が在城したとある。その子、与次郎宗高の代になって、沼城主・宇喜多直家に滅ぼされた。元亀元年(1570)のことであった。石山城を手にした直家はこの地を自分の居城とすべく重臣の戸川・馬場両氏に命じて大改修に着手した。    田畑けんじ

旧内山下小学校 2005/07/08 (金)
昨日、ロンドンで同時多発テロがあり、死者38人、負傷者700人を超えるとの報道があった。ブレア首相が「テロには負けぬ」と声明した。しかし、天然ガス・石油の権益確保のために仕掛けたアフガン、イラク戦争での死傷者はどうなるのか。双方の怨み、憎しみあいはまたテロと戦争を引き起こすことになる。テロも戦争も止めなければならない。日本も満州の権益確保のために先の大戦を引き起こした。そして、岡山でも空襲があった。多くの罪なき人たちが死に、負傷し、財産を失った。そんな中、生き残って戦争を止めてほしいと訴えている建物の一つに旧内山下小学校の校舎がある。内山下小学校の前進は明治20年(1887)創立の岡山区高等小学校です。空襲があった当時は県庁が置かれていたといわれている。校地内には、同じく空襲を免れた岡山城・西の丸西手櫓(国宝)がある。慶長8年(1603)に建設されたもの。これらの建築物は歴史性においても、戦争遺跡という点においても、文化性においても第一級の貴重かつ重要な建築物です。永久保存をしたいものです。みなさんも是非一度お出かけになって見てください。
田畑けんじ

いい人(5) 七夕さまに願う 2005/07/07 (木)
今日は七夕さまです。そして、季節のうえでは小暑です。いよいよ暦の上では、本格的な暑さがやってきます。みなさんも体に気をつけてこの夏をお過ごしください。さて、いい人シリーズで、最近のいくつかの体験をお知らせしました。人はみんな必ず「ええとこ」をもっているのです。その「ええとこ」を階級社会が分断しているのだということがわたしの体験からもわかります。また、同じ階級に所属していても現在の資本主義社会の中では、能力、資質、適正で職業の選択をしなければならないということです。社会主義社会でも同じことがいえるのではないでしょうか。それぞれが自分の「ええとこ」を見つけ、大切にしながら、自分にあった職業を見つけ、いきいきと暮らせる世の中にしたいと今日は短冊に書いて七夕さまにお願いしようと思います。
田畑けんじ


いい人(4) 2005/07/06 (水)
今朝は藤田地区のOさんから相談で、橋の架け替えのことで現地に行きました。子どもの通学のこと、交通事故のことなどを考えると橋の架け替えをしてほしくないというのです。今は歩行者のみ通行可で、車両は通行不可です。ところが、学区全体では架け替えを連合町内会あげて800人を超える署名陳情をし、市長もゴーサインをだし、予算もつけられているとのことです。ところが、架け替えの話を聞いていなかった方々が驚いて反対を始めたようです。Oさんもそのお一人です。反対署名も取り組まれはじめた中で、わたしに相談があったというわけです。約10人くらいの方が橋のことについて説明されました。わたしが現地から岡山市役所道路保全課に現状を聞こうとして電話をしたところ、調べて返事をするということでした。すると、すぐT議員(実質J党)から連絡が入り、そのホットラインの素早さに驚かされました。彼とは「賛成派、反対派でよく話し合おう」ということなり、そのことをOさんにお話ししました。その後、役所から連絡が入り、事情説明をしたいということでした。午後、お話を聞きました。事業は「賛成派、反対派が話し合って調整がついてから」ということになりました。ところが、午後3時過ぎ、興奮したOさんから連絡が入りました。「勝手なこと(田畑に相談したこと)をするなと創価学会の人に叱られた。反対署名をKO党のF議員に頼んである、とどえらい叱られた。今日現地にいた人たちの中に学会の人がいて、F議員にすぐ連絡したそうです。それで、家に来たそうです。それから、連合町内会から自分たちの町内会が排除されるのか?そんなことがあるのであるのでしょうか」とのことでした。わたしは「そんなことはありません。有志の方が市に陳情したからといってその町内が連合町内会から村八分にされるとしたらおかしいでしょ。そんな理不尽なことはありません。もし仮にそういうことが本当にあるとしたら、連合町内会長に話しに行きましょう。また、橋の架け替えは賛成の人もいれば、反対の人も多くいるのですから、どちらの方々もよく話し合って結果は藤田がいい地域になるようにしなくてはならないと思います。ですから、地域がよくなるように多くの方と相談していいのではないですか。いい人といわれているKO党のF議員の方が判断が間違っているのですから、恐れないでがんばってね」とお返事をしました。しかし、いい人ってなんでしょう?おかしいですねえ。地域のことを真剣に考える人が増えることは歓迎すべきことであって、排除すべきことではないと思うのですがねえ。                   田畑けんじ

いい人(3) 2005/07/04 (月)
「勝ち組」と「負け組み」。あなたはどうおもわれますか。有名大学を出て一流企業に就職すれば賃金格差も格段の開きがあります。だから、受験競争を戦いぬかされるのです。いや、戦い抜く人がいるのです。決まり文句は「それが、あなたのためよ」です。わたしの妻との子育て論争はいつもそれでした。今、妻は「あなたのせいで子どもたちが出来なかったのよ」と思っています。そう言われると「それもそうか」と思ってしまいます。学校では落ちこぼれ、金もなくて老後が不安。生きてく自身がなくなれば自殺しかありません。しかし、人間としてうまれ落ちてきてそれでいいはずがありません。日本共産党はどう考えているのか?と、問われれば「人間を粗末にする社会を変えて、人間が人間として大切にされる社会をめざしています」とお答えします。すると、「そんなきれいごとが通用するかよ」と詰め寄られます。でも、大企業に勤めていたら人間として幸せなのでしょうか。「大手パソコンメーカー勤務、29歳で年収370万円。残業時間が100時間。帰宅は深夜0時」の一般的だといわれるデーターはなにをもの語っているのでしょう。となれば、大企業に勤めたことが「勝ち組み」ではなくて、「勝ち組み」とは日本の政界、財界、超富裕層のほんの一握りの人たちということになります。となれば、圧倒的大多数の人たちに「富の分配」が出来る社会にしないと人間らしい生活保障をする国だとはいえません。人間は生まれながらにして健康で文化的な人間らしい生活をおくる権利をもっているはずです。ならば、そんな世の中をつくる仕事に献身したいとだれでも思うはずです。しかし、みんなが、そう、ならないのはなぜだろう。                      田畑けんじ

いい人(2) 2005/07/01 (金)
わたし達のまわりには勝ち組の方も負け組みの方もいます。わたしの隣町には地下に核シェルターをもつ豪邸があります。そこにはある大手企業の社長さんが住んでいます。敷地内には武道場もあり、たくさんの子どもたちが武道の練習に通っています。もちろん無料です。近所の多くの方は「あんな偉い人はいない」と尊敬の言葉を惜しみません。従業員の方の多くもこの会社に勤めてよかったと言っています。しかし、この社長さんの素顔を見る人は本当にまれです。私的なことで人に会うことは滅多にないそうです。この方のお家とずっと親戚付き合いをしてこられたある奥さんは「ふん、自分だけ助かりゃいいと思いやがって(シェルターのこと)。あの子も変わったよ」と言います。わたしはお会いしたことがありませんからコメントのしようがなく黙っていました。この方と対照的な方がわたしの家の隣のアパートに住んでいます。この方は中規模の製菓会社の社長さんでした。本当にいい人なのです。友人や同窓生をはじめ、従業員の面倒もよくみ、なにかと援助してあげられました。卒業した学校が自慢の2代目社長さんでしたが、経営に失敗して、会社は倒産しました。奥さんは「あの人はあれほど他人の面倒みたんだからだれか一人くらい助けてくれる人があらわれてもいいんじゃありませんか」と、うつむいたままわたしに言いました。だれも助けようという人はいませんでした。わたしが事情を聞いて駆けつけた時は手遅れでした。それにご本人がパニックにおちいっていて、なんどかお会いしただけのわたしの話には耳を傾けてはいただけませんでした。会社は倒産し、立派な家も工場も他人の手にわたりました。ご家族は散り散りばらばらになりました。この社長さんが隣のアパートに引っ越してきて一月ほど経ったころでしょうか。ばったり路上で出会いました。その時の彼の一言が印象的でした。「専務(弟)は保証人でもなく、家も、アパートも無傷で、なんでアイツだけ・・・」。さらに二月ほど経ってその元専務さんがわたしを訪ねて来られました。会社の保証債務が一部あり、どうしたものか、というのです。その時の一言がまた印象的でした。「兄はバカですから。お姉さんやぼくが止めるのも聞かず、他人の世話ばかりして・・・」。ほんとにいい人なのにどうしてこんな結果になるのでしょう。いい人と経営や仕事とは別のようです。                                  田畑けんじ

いい人(1) 2005/06/30 (木)
昨日の石山公園での「ピースキャンドル・平和への祈り」は素晴らしかった。若い人たちが一生懸命やっている姿がいい。平和への関心が薄れている中でのこうした若者たちの行動がいい。いい人たちだ。でも、いい人ってどういう人のことなんだろう?KO党のF議員はとてもいい人だ、と評判だ。しかし、彼が、市民の暮らし破壊の条例や予算に手を貸している事実をみんなはあまり知らない。ニッコリ笑って人を切る、そんな人がいいのだろうか。無所属保守系といわれる人たちがいる。表には出さないけれども、実質がJ党のF氏もそうだ。彼はその人柄で議員として選出されてきた。しかし、大きな意味では市民の期待を裏切っている。それぞれの議員を見れば、それはそれなりにいい人だから、議員に推薦されているのだともいえる。ではTやFやIはどうなんだろう。個々の問題はともかくとして、大きな意味で市民の期待を裏切っている人たちから「いい人だ」と言われている人の意味あいには二通りあると思う。「実力を認めたうえでのいい人」と「何も言わないからいい人」との二通り。とすると、彼らや彼女たちから「いい人だ」といわれて喜んでいるわけにはいかなくなる。そう思いません?       田畑けんじ

不戦の誓い 2005/06/29 (水)
重い過去の悲劇を繰り返さないために、「不戦の誓い」。今日は戦後60年の節目の年。恒例の戦死者、戦災死者慰霊祭が岡山市民会館でおこなわれた。遺族代表が謝辞で「不戦の誓い」をされた。この言葉の重さと比較して、K代議士の「生き延びたものの責任として・・・」、T代議士の「不戦を国是とし・・・」の言葉のなんと軽かったことでしょう。彼らは憲法9条を変えようとしながら、なぜ平和に言及できるのだろう?帰りがけ、会場に隣接する石山公園(石関町)に立ち寄り平和像に手を合わせた。岡山市がわれわれの主張に耳を貸してくれて、1987年(S62)3月に平和の尊さを語り継ぐ記念として建立したものだ。こころなしか、平和像の顔が悲しげにゆがんで見えた。しかし、慰霊祭で「平和都市宣言」を中学生5人が朗読してくれた。若い人たちが語り継ぐのはいいことだ。そして、今夜はこの石山公園で若い人たちがピースキャンドルで平和の誓いの催しをするという。ありたいことです。この石山公園を若い人も、年老いた人も大切にしてくれたらと願う。戦争は人間に狂気をもたらす。恐ろしさ、おぞましさ、事実を話し、書き、話し、伝えることは人としての務めだと思うから・・・。合掌。
                          田畑けんじ

旧日銀・残るは表の外観だけか? 2005/06/28 (火)
禁酒会館より1年はやく大正11年に建築された日本銀行岡山支店。この建物もあの空襲を生き延びた歴史の生き証人である。大正ロマンの薫る見事な建築物であるから、残してほしいとの多くの県民の願いに応えて岡山県が取得した。その後いくつかの紆余曲折を経て、知事は今年6月2日「文化関係で申し上げれば、岡山日銀、旧日銀ホール、名称としてはルネスホールといたしましたけれども、これは岡山の文化、あるいはライフスタイルを発信できる新しい文化芸術の創造拠点、これが9月2日オープンの予定であります」と記者会見した。しかし、全面的に建物を残すのではないとも仄聞する。全面的に残して市民・県民のために活用してほしいと願うのはわたしだけだろうか。今日は夾竹桃の真っ白な花が見事に美しい。明日は60年前、岡山大空襲があった日。わたしは岡山駅前を母の背中で業火の中を逃げ惑ったという。あの空襲とその後の60年を語り継ぎ、今日も、明日も美しく咲く花を見る喜びをくれた父と母に感謝をしながら、全面的に残してほしいと今切に願っている。雨の少ない暑い暑い夏の日に。         田畑けんじ

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