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城下 2005/06/24 (金)
岡山市の城下の交差点に立って、岡山駅の方を見ると高層の建物が林立している。左手前のシンフォニービルの少し先、表町商店街の入り口のすぐ西に三和銀行の古い建物があった。昭和11年に建築された三和銀行(表町1丁目)である。あの60年前の岡山大空襲を生き延びた貴重な、そして重厚な建物であった。時代の流れとはいえ惜しいことをしたものだと思っている。城下交差点の南に位置する「禁酒会館」は大正12年の建築であるが、この建物も岡山市にとっては貴重な建物であるとともに、岡山大空襲の生き証人でもある。この建物だけはなんとか残してほしいものだ。

お舟入(2) 2005/06/23 (木)
岡山藩船の船溜まりであったお舟入は七日市村の南端にあったことは前述した。御野郡七日市村はその名のとおり村名は七の日に市が開かれたことにちなんでつけられたという。起源は室町中期以降〜近世以前といわれている。東は旭川で、その対岸は上道郡網浜村であり、北は御野郡二日市村、西は二日市村、奥内村、田住、青江、富田と接し、南は十日市村、浜野村であった。「備陽史」によれば、村高244石5斗6升、田畑12町5反4畝、戸数41軒、人口221人であったという。古名は春日村。村内にあった春日大明神が名のおこりという。春日大明神(現、春日神社)は社領高10石で、社記によると寛和年間(985〜987)に奈良の春日大社の分霊を勧請したとある。現在、お舟入跡は岡山製紙の構内であるため、道路側から見えず、中に入れないのが残念である。旭川からは見ると、池田綱政の時代の水軍の130余艘の軍船がひしめいて停泊しているような気がしてくるから不思議である。
                         田畑けんじ

お舟入 2005/06/22 (火)
七日市の南端であった現在の御舟入町には船溜まりの一部と茶屋跡、茶屋門、藪土手、石組み護岸などの備前藩・水軍の遺跡が残っている。
備前藩は1800石積みのお召し船をはじめ、大小130余艘の船団を持っていた。そして、船手の船頭は船頭町に屋敷を置いていた。その少し南に築造されたお舟入は池田家第4代藩主綱正が藪土手を築いてその内面を船溜まりとし、全船団の泊地とした。もちろん外部から見えないように周囲を竹薮で囲った。後のことであるが、安宅形の大船2艘が要らなくなった時にこの船の供養のために一寺を建立。この寺が現在の浜野の妙法寺である。明治40年お舟入は岡山製紙の用地となり、現在に至っているが、今も残る茶屋門や藪土手などには往時の面影が残されている。釣りの好きな方など、はぜ釣りに来られた時などに藪道の風にあたってみるといい。威勢のいい船頭たちの掛け声が聞こえてくるにちがいない。 田畑けんじ

福田英子顕彰碑生誕地へ移設 2005/06/21 (月)
あなたは西川緑道公園を歩いたことがありますか。もしこれまでに歩いたことがなかったら是非一度歩いてみてください。とてもいい公園です。市内中心部を流れる西川とその支流の枝川用水路に沿って、岡山市が昭和51年〜同54年まで緑地を逐次建設。他市からお見えになった方からは「これはいい」と絶賛の声。岡山の自慢の公園の一つです。でも、最近の市長さんになってから維持管理費をケチって、あまり美的でない部分もでてきました。それでもいい公園です。この緑道公園にもう一つ「自慢」が増えました。それは緑道公園沿いの野田屋町公園に福田英子の顕彰碑が笠井山から移設されたことです。除幕式は6月19日におこなわれました。英子は野田屋町生まれ。10代で自由民権運動に目覚め、上京。東洋のジャンヌダルクと呼ばれた彼女は普通選挙権の促進や結社の自由をもとめる運動、女性啓発雑誌の発行など女性や労働者の人権運動に努めた方です。これからは男女共同参画の時代。西川緑道公園をお散歩の節は是非お立ち寄りください。そして、先人の偉業を胸に心地よい風に吹かれて明日を夢見て歩いてみましょう。      田畑

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